「人は合理的に判断する」。経済学を学んだことがなくても、どこかで聞いたことのある前提かもしれません。価格や利回り、損得を冷静に比較し、もっとも得になる選択をする。長いあいだ、経済学はこうした“合理的な人間像”を土台に理論を組み立ててきました。
しかし、現実の私たちの行動を振り返ると、どうでしょう。分かっているのに衝動買いをしてしまう。長期的には不利だと知りながら、目先の選択を優先してしまう。行動経済学は、こうした「理論と現実のズレ」から生まれた学問です。
従来の経済学が抱えていた違和感
伝統的な経済学では、人は十分な情報を集め、確率や結果を正確に理解し、常に最適な選択を行う存在として描かれてきました。この前提は、数式やモデルを扱ううえでは非常に都合が良く、経済現象を美しく説明できます。
一方で、現実世界では説明しきれない現象が数多く観察されていました。たとえば、明らかに損な条件でも人が同じ選択を繰り返すこと、市場が理屈では説明できないほど過熱や暴落を起こすことなどです。
これらは単なる例外ではなく、むしろ日常的に起きています。「人はときどき非合理的なのではなく、構造的にそう行動しているのではないか」。この疑問が、行動経済学の出発点になりました。
心理学との出会いが生んだ行動経済学
行動経済学の大きな特徴は、心理学の知見を積極的に取り入れた点にあります。心理学の研究では、人の判断が感情や直感、思い込みに強く影響されることが、実験を通じて繰り返し示されてきました。
ダニエル・カーネマンらは、人間の判断には一定の偏りがあり、それは偶然ではなく再現性を持つことを明らかにしました。つまり、人のミスはランダムではなく、パターンを持っているということです。
この発見は、経済学にとって大きな転換点でした。人を完全に合理的な存在として扱うのではなく、「どう間違えるか」を前提に理論を組み立てる必要性が浮かび上がったからです。
なぜ近年になって注目されているのか
行動経済学が近年特に注目されている理由は、社会環境の変化と深く関係しています。
まず、情報量が爆発的に増えたことです。インターネットやSNSの普及により、私たちは常に膨大な選択肢と情報にさらされています。その結果、すべてを合理的に比較・検討することが、ますます難しくなりました。
また、個人に委ねられる判断の範囲が広がったことも大きな要因です。年金や投資、キャリア選択など、かつては制度や組織が決めていたことを、個人が自分で選ぶ時代になりました。その一方で、人間の判断能力が劇的に向上したわけではありません。
こうした環境では、「努力すれば合理的に判断できる」という前提そのものが成り立ちにくくなります。だからこそ、人の弱さや限界を前提に考える行動経済学が、現実的な学問として注目されているのです。
人の合理性には限界があるという前提
行動経済学の土台にある考え方が、「人の合理性には限界がある」という前提です。これは、人が怠けているとか、能力が低いという意味ではありません。
人の判断は、情報・時間・認知能力といった制約の中で行われます。すべての選択肢を把握し、将来の結果を正確に計算し続けることは、構造的に不可能です。そのため、人は常に最適な選択ではなく、「十分に納得できる選択」で判断を打ち切ります。
この考え方は、ハーバート・サイモンが示した「限定合理性」という概念として整理されました。重要なのは、ここでいう非合理性が欠陥ではなく、現実的な適応だという点です。
限定合理性がもたらす判断の特徴
合理性に限界があるからこそ、人は思考を効率化しようとします。その結果、直感や経験則といった“思考の近道”に頼るようになります。
この近道は、日常生活をスムーズに回すうえでは有効です。しかし、重要な判断にまで適用されると、判断のズレや後悔につながりやすくなります。行動経済学が注目するのは、まさにこの部分です。
人はなぜ同じ失敗を繰り返すのか。なぜ賢い人ほど自信過剰になることがあるのか。これらは、限定合理性という前提を置くことで、初めて一貫した説明が可能になります。
行動経済学が示す視点の転換
行動経済学は、「もっと注意深く考えよう」と人に求める学問ではありません。むしろ、注意深く考え続けることができない現実を受け入れたうえで、どう設計すべきかを考えます。
人を変えるのではなく、環境を変える。意志に期待するのではなく、仕組みに任せる。この発想は、政策設計やビジネス、日常の意思決定にまで応用されています。
まとめ|現実の人間を出発点にした経済学
行動経済学が生まれた背景には、理論と現実のズレがありました。そして近年注目されている理由は、そのズレがますます大きくなっているからです。
人は完全に合理的ではありません。だからといって悲観する必要もありません。その前提を理解したうえで判断や環境を設計することが、後悔を減らす現実的な方法です。
行動経済学は、人間を理想化する学問ではなく、ありのまま理解するための学問だと言えるでしょう。
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